ひとりになるといろいろなことを思い出します。
そんな中で、今でも思い出すのが「食事」についてです。
配偶者は当時小遣い稼ぎのために派遣社員として働いていました。
理由は自由になるお金が欲しいからと言っていました。
それまでは食料は僕のお金で買っていました。
配偶者は、食料を買ってきても買ってきたことで満足するようで、
買ってきたこと自体を忘れて、よく冷蔵庫の中でカビていたり腐っていたりしてました。
買ってきたパックのままゴミ箱に入っているところもよくみかけました。
その食材で作られた料理が僕に出てくることはほとんどありませんでしたが、
買ってきたものがそのまま捨てられるのは、心がとても痛みました。
残飯のせいなの、部屋の中にはいつもショウジョウバエが飛んでいました。
多いときは何十匹も飛んでいました。
そのときは大抵じゃがいもなどがどこかで腐ってて、そこで激しく涌いていました。
配偶者は、それは決して自分の所為ではないと信じており、
そこを注意したり改善要求したりすれば、途端に娘への虐待として報復を受けるため、
忍耐あるのみでした。
状況がひどくなってきて耐えられなくなると、
配偶者は原因を見つけてとりあえずかたづけます。
すると「頑張ったでしょ」と自慢してきます。
「すごいね、よくやったね」と言わないと機嫌を損ね、
娘が虐待されるので、自分の本心は横に置いておいて、その自慢を賞賛しました。
台所の流しは、残飯入りの食器で埋め尽くされており、腐ってひどい状態でした。
見た目もひどいのですが、臭いもとてもひどい状態でしたので、
風呂場と連動して動く小さな換気扇は24時間動きっぱなしでした。
配偶者は、使える食器がなくなると、ようやく食器洗い機に食器を入れて洗います。
洗ったことを「頑張ったんだから褒めて欲しい」と言われることもあり、
そこで褒めないと娘が虐待されるので、すごいね、がんばったねと褒めました。
食器洗い機で洗われた食器は、食器棚に片付けるよりも、そのまま使う方が多かったです。
使った鍋は洗わずに放置するため、中はよく腐ったりカビたりしてました。
使える鍋がないから料理ができないと急に怒りだして、娘か僕が暴力を受けたこともあります。
なので、僕が使ったわけではありませんが、鍋や食器をたまに洗っていました。
普段の買い物は、専らお弁当や惣菜が中心でした。
皿に移さずそのまま食べられ、しかも容器はそのまま捨てられますから、
都合が良かったらようです。
それでも定期的に3食食べるのではなく、配偶者が食べたいときが食事の時間でした。
娘はよく飢えており、お菓子を与えられてごまかされたりしていました。
ひどいときには、夜12時頃に換気扇を強運転させて夜中にしては迷惑千万な騒音の中、
肉を焼き出したこともありました。
そのマンションの部屋の換気扇は、汚れて目が詰まっており、
換気能力が大幅に低下しているため、焼ける肉のにおいと脂が部屋中に飛んできました。
そのときは、とても辛くて眠れませんでした。
そんな配偶者がどんな形であれ、
働きに出てくれることで娘が保育園に預けられるようになったのは、本当に助かりました。
いつ殺されるのかずっと不安でしたが、保育園に預けている間はその不安がなく、
なによりも栄養バランスをちゃんと考慮した手作りのお昼ご飯が日々決まった時間に食べられます。
迎えの時間も遅いため、補食もおにぎりなどのちゃんとしたものを出して頂けました。
土日は一緒にいられるので僕が面倒見られるのですが、
平日は昼間のお仕事があるため難しいです。
部屋がほこりだらけなので娘はぜんそく気味でしたが、保育園は清潔です。
娘が安心安全であたたかい食事ができる環境はあこがれでした。
夜自宅に帰るとまだつらい状況ですが、昼間保育園にいる間は、
心から元気な子供になってくれました。
普段、当たり前に、リラックスしながら食事ができること。
この頃の僕と娘にとっては、金(GOLD)よりも貴い時間でした。
自宅では難しいので、ファミリーレストランなどに行ったときに、
つかの間の平和な食事をします。
そこでは急に怒りだしたり、怒鳴ったり、呼びつけたりする人がいません。
携帯電話が鳴りっぱなしだったり、帰宅後に何をしてきたか尋問を受ける恐怖はありますが、
安心して自分らしくやすらぎを感じながら自由に振る舞える時間です。
平和な食事の時間。いつかこんなすてきな時間が毎日続いたらいいのに、
といつも渇望していました。
今回は、このへんで。
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http://yu6804.exblog.jp/24569473/
そんな中で、今でも思い出すのが「食事」についてです。
配偶者は当時小遣い稼ぎのために派遣社員として働いていました。
理由は自由になるお金が欲しいからと言っていました。
それまでは食料は僕のお金で買っていました。
配偶者は、食料を買ってきても買ってきたことで満足するようで、
買ってきたこと自体を忘れて、よく冷蔵庫の中でカビていたり腐っていたりしてました。
買ってきたパックのままゴミ箱に入っているところもよくみかけました。
その食材で作られた料理が僕に出てくることはほとんどありませんでしたが、
買ってきたものがそのまま捨てられるのは、心がとても痛みました。
残飯のせいなの、部屋の中にはいつもショウジョウバエが飛んでいました。
多いときは何十匹も飛んでいました。
そのときは大抵じゃがいもなどがどこかで腐ってて、そこで激しく涌いていました。
配偶者は、それは決して自分の所為ではないと信じており、
そこを注意したり改善要求したりすれば、途端に娘への虐待として報復を受けるため、
忍耐あるのみでした。
状況がひどくなってきて耐えられなくなると、
配偶者は原因を見つけてとりあえずかたづけます。
すると「頑張ったでしょ」と自慢してきます。
「すごいね、よくやったね」と言わないと機嫌を損ね、
娘が虐待されるので、自分の本心は横に置いておいて、その自慢を賞賛しました。
台所の流しは、残飯入りの食器で埋め尽くされており、腐ってひどい状態でした。
見た目もひどいのですが、臭いもとてもひどい状態でしたので、
風呂場と連動して動く小さな換気扇は24時間動きっぱなしでした。
配偶者は、使える食器がなくなると、ようやく食器洗い機に食器を入れて洗います。
洗ったことを「頑張ったんだから褒めて欲しい」と言われることもあり、
そこで褒めないと娘が虐待されるので、すごいね、がんばったねと褒めました。
食器洗い機で洗われた食器は、食器棚に片付けるよりも、そのまま使う方が多かったです。
使った鍋は洗わずに放置するため、中はよく腐ったりカビたりしてました。
使える鍋がないから料理ができないと急に怒りだして、娘か僕が暴力を受けたこともあります。
なので、僕が使ったわけではありませんが、鍋や食器をたまに洗っていました。
普段の買い物は、専らお弁当や惣菜が中心でした。
皿に移さずそのまま食べられ、しかも容器はそのまま捨てられますから、
都合が良かったらようです。
それでも定期的に3食食べるのではなく、配偶者が食べたいときが食事の時間でした。
娘はよく飢えており、お菓子を与えられてごまかされたりしていました。
ひどいときには、夜12時頃に換気扇を強運転させて夜中にしては迷惑千万な騒音の中、
肉を焼き出したこともありました。
そのマンションの部屋の換気扇は、汚れて目が詰まっており、
換気能力が大幅に低下しているため、焼ける肉のにおいと脂が部屋中に飛んできました。
そのときは、とても辛くて眠れませんでした。
そんな配偶者がどんな形であれ、
働きに出てくれることで娘が保育園に預けられるようになったのは、本当に助かりました。
いつ殺されるのかずっと不安でしたが、保育園に預けている間はその不安がなく、
なによりも栄養バランスをちゃんと考慮した手作りのお昼ご飯が日々決まった時間に食べられます。
迎えの時間も遅いため、補食もおにぎりなどのちゃんとしたものを出して頂けました。
土日は一緒にいられるので僕が面倒見られるのですが、
平日は昼間のお仕事があるため難しいです。
部屋がほこりだらけなので娘はぜんそく気味でしたが、保育園は清潔です。
娘が安心安全であたたかい食事ができる環境はあこがれでした。
夜自宅に帰るとまだつらい状況ですが、昼間保育園にいる間は、
心から元気な子供になってくれました。
普段、当たり前に、リラックスしながら食事ができること。
この頃の僕と娘にとっては、金(GOLD)よりも貴い時間でした。
自宅では難しいので、ファミリーレストランなどに行ったときに、
つかの間の平和な食事をします。
そこでは急に怒りだしたり、怒鳴ったり、呼びつけたりする人がいません。
携帯電話が鳴りっぱなしだったり、帰宅後に何をしてきたか尋問を受ける恐怖はありますが、
安心して自分らしくやすらぎを感じながら自由に振る舞える時間です。
平和な食事の時間。いつかこんなすてきな時間が毎日続いたらいいのに、
といつも渇望していました。
今回は、このへんで。
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by kna5204
| 2015-06-10 17:07
| マイストーリー